憲法の歴史
江戸時代は、「士農工商」を軸としたいわゆる「封建社会」であった。しかし明治維新後、明治政府は1889年(明治22年)大日本帝国憲法を制定し、それまでの「封建制社会」から、一転「天皇制・民主国家」へと移行することになった。この「大日本帝国憲法」の制定により、我が国は欧米諸国に倣い、近代国家への道を歩み始めた。この憲法の特徴は、日本古来の「神権的な天皇制」と欧米の国家体制を参考にした「古典的自由主義・民主主義理念」がうまく共存した体制を形作る画期的なものとなった。この体制は、国家の統治権を天皇が持つという側面と、欧米に倣った国民の権利を認めた、もう一つの側面を持っていたのである。さらに、また欧米諸外国に倣い「間接民主主義」の体制を作り、それまでの我が国になかった「議会政治」の制度も制定された。
その「大日本帝国憲法」の第11条に、統治権を持つ「天皇」の権限として「陸海軍の統帥権」を定めている。しかしここで注意したいのは、この規定は、天皇の直接的な軍の統帥を定めたのではないということである。それはどういうことかと言うと、陸海軍の統帥権を明治政府の直接管轄から独立させることで、実質的に陸海軍当局そのものの管轄としたということである。しかしこの後、特に太平戦争直前になると、政府及び議会の軍管理が徹底されなくなってしまう。それによって、元々民主的基盤を持たない軍が、逆に国政に強く関与することになってきたのである。つまり、軍が暴走してしまうと、もはや政府が管理しきれなる事態になる訳である。例えば、1937年(昭和12年)中国の盧溝橋で部隊衝突が勃発し、それを契機とし日中戦争の開戦となったのである。その後1941年(昭和16年)には太平洋戦争に突入した。この一連の戦争において、軍部の主導による国家運営がなされ、もはや政府が軍をコントロールできなかったのである。このことは、冒頭に述べた「大日本帝国憲法」の機構にその原因があるわけである。
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